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禅語、紅炉上一点雪

2021.02.17

京都は雪が降りました

今朝の京都は寒い朝となりました。

それどころか、雪が結構な勢いで降ってました。

昼前には雪は止みましたが、昼過ぎも寒さは続いています。

京都の二月は相当に寒く、雪も例年降ってはいるのですが、このところの暖かさと春を感じさせる日差とに体が慣れていたので、少しびっくりは致しました。

何時も申し上げていますように、京都は季節を行ったり、来たり、雪も又混じり、3月の彼岸を迎えるまでは温かくならないのは毎年の常ではあります。

さすがに、蓮華堂、お墓参りの皆さんは今日はお見掛け致しません。

こんな時期ですので、風邪をひくことはできませんので、それはそれで良いかとは存じます。

温かい陽射しが戻りましたらお越し下さい。

今日の禅語 紅炉上一点雪

紅炉上一点雪(こうろじょういってんのゆき)とお読みください。

今朝の京都は、雪がだいぶと強く降っていました。

そして、本日は本山の定例のお勤めの日なので、雪の中を傘をさしながらご本山へ向かい、お勤めを致しました。

通天橋へ降りしきる雪の景色は中々の景色でした。

例年ですと、積もった雪景色を撮影致しに、多くのアマチュアカメラマンの方がお越しになります。

本日はもちろん積もりませんでしたので、どなたもお見掛け致しませんでしたが。

只、歩きながら降ってきた雪が参道へ落ち、たちまちに溶けてゆく様子を見た時に、上の禅語、「こうろじょういってんのゆき」の禅語を思い出しました。

燃え盛る炉へ落ちたひとひらの雪は跡形もなく瞬時に溶けてしまいます。

参道へ降り落ちました雪も同様です。

高い志を持った求道者はそれと同様に、次々と降りかかる雑念、誘惑、妄想を雪が炉に落ち瞬時に消え去るのと同じく振り払うという境涯を表した言葉です。

私のように美味しいものが食べたい、美味しいお酒が飲みたい、あのことが心配でとオロオロする人間には程遠い言葉です。

そうは申しても、炉に落ちる雪のように、ささっと消せますお方は少ないと思います。

それでも、執着、雑念に囚われながらでも、大事なことは真摯に見つめ、信念を失わず持続致し、遠い将来には雪がさっと消え去る境涯へ少しでも近づきたく、この禅語のお話を致しました。

皆さんも雪が降りました時には、そういえば”あんな禅語があったな”と是非、思い起こしていただきましたら幸いです。

この寒さはコロナの時節には危うい寒さです。

先ずは心して、風邪を引かぬように日々を過ごさねばなりません。

本日は雪に合わせ、急いでこの禅語をご紹介させて頂きました。合掌

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