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天寿。

2024.02.29

天寿。

天寿という言葉、そして想いを込めて働くということを実体験として示し、教えて下さったお方と残念ですが昨年にお別れ致しました。

霊源院、そして龍眠庵の境内をシルバー人材センターからお越しの男性の方々に掃除を頂いています。

本来は私が致さねばならぬのですが有難いことに多くのご縁により「法務」(檀家さんの法事等)に追われ、それを言い訳に致し、10日に一回ほど、定期的にお掃除をお願い致しています。

又、お墓と庭の草引きも丁寧に致して下さいます。

特に草引きは抜いても抜いても、直ぐに草は延びます、多くのお寺さんでは、たまりかねて除草剤に頼られる所も多いと聞きます。

そんな中、霊源院へ草引きにお越し下さっておられるお二方がおられます。

凍える寒さの日、汗が滴る暑い夏の日、そんな日さえも避けることなく、淡々とお越し下さり、帰る時にはお墓も庭もすっきりと綺麗になっています。

最近はシルバー人材センターへお掃除、草引きをお願い致しましても、継続的にお越し下さる方は皆無に近い状態です。

現在、お越しの皆さんにおすがり致し、境内の清浄を保っていただいています。

その中のお一人に、昨年、88才になられたお方がおられ、草引きを何時もなさって下さっていました。

朝早く、年季の入った「カブ」でお越しになられます、何時もご丁寧な挨拶を頂き、夕方迄丁寧な草引きを致して下さいます。

草引きの金属製の道具で「がりがり」と削るのではなく、腰を屈めて草の根っこから丁寧に抜いて下さいます。

お帰りになられて、お墓へ参りますと、抜いた後の土もならし、見事に綺麗な地面になっています。

寡黙なお方で、殊更な会話を致すことはありませんが、その誠実な仕事ぶりは、ご一緒になさっておられるパートナーのお方も含め、頭が下がることでした。

只、少し前になりますが残念で辛いことですが、そのお方が昨年に88才の天寿を全うなされお亡くなりになられました。

パートナーのお方のお話しでは、本当に最近迄、普通に仕事をなされておられ、お酒も嗜み、元気になされていたとのことです。

しかし、少し体調を崩され、入院をなされましたが、「長患い」をなされずにお亡くなりになられたとのことです。

最近のことですので、ご家族のみのご葬儀ということで、最後のお別れの式には関わることが出来ませんでしたが、ご家族の懇ろなお送りが思い描かれることでした。

最後の際迄、ご自身の仕事に真摯に向き合い、長患いをせずに旅立って行かれた故人を思います時、天から授かった命「天寿」という言葉の重みを、教えて下さるお方でした。

心の底から、「感謝」を思いますと共に、その真摯な生き方を少しでも学ばねばと心底、思うことです。

一日作さざれば、一日食らわず。

禅語です、(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)とお読みください。

私のような「ずぼら」な者が語る言葉ではありませんが、百丈懐海禅師(ひゃくじょうえかいぜんじ)という和尚さんが残された禅の言葉です。

昔の厳しい修行道場では禅僧は修行の為の労働(作務、野菜作り、掃除等)を重んじていました。

そんな中、この和尚さんは高齢にも関わらず、その作務を止めなかったので、弟子が心配なされ、掃除の道具を、思いやりから隠されました。

すると、働くことができなくなり、部屋に閉じこもられ、食事にもお越しになられなくなりました。

心配致した、弟子たちにその時、この言葉を語られました。

この言葉は所謂「働かざるもの食うべからず」という言葉とは違い、労働の対価として食べられるということではなくして、仏によって生かされた者は、仏の「悟り」を確かめられずに、他の人々の為に役立てねば食べられぬと語り、禅の教えの大切な根幹の「無心」を実践の労働を通して掴むことの大切さを説いておられます。

今でも、各所の修行道場ではこの教えを根底に置き、若い修行僧の皆さんが切磋琢磨なされています。

寺に戻り、「なまくらな生活を致しがち」な自分を大いに反省致しますと共に、何より先にお話し致しました、草引きでお世話になりましたあのお方の日々の行動とこの言葉を残された和尚さんが重なり、私が語れるような言葉ではありませんが、少しだけ書かせて頂きました。

重ねて、草引きをお願い致していたお亡くなりの故人へ心から冥福をお祈り致しますと共に「合掌、礼拝」をさせて頂きたく思います。合掌

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