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故人を通して深まる近親の絆

2024.05.19

故人を通して深まる近親の絆

時間の過行く速さ、そして社会の有り様の変化の速さは、間違いなく超高速で過ぎて行きます。

戦後の高度成長期の日本の姿を見ようと思いましたら、テレビのドキュメンタリーなどで繰り返し報道されていますので、若い方々もその景色をご覧になられたことはあろうかと思います。

私は当にその時代を見るのでは無く、生きて来させて頂きましたのでよりリアルに覚えています。

中学、高校、大学と過ごしたその時代を思い起こしますと、確かに「社会の劇的な変化の有り様」は否定できません。

希望に向かい明日は今日より、その今日は又、明日は更に良き方向へ変化致して行くという確信がありました。

しかし、その確信は今生きている自分の歩調とかけ離れているという想いは全く感じず、自分の希望と社会の変化が良い感じで同調致していたことを覚えています。

それ故に、他者への気遣い、親戚への絆の想いが常に自分の脇にあったように思います。

2014年の今、その想いはと自己に問い掛けますと、年齢が重ねられたことも大きな要素かもしれませんが、合理性を前提とした変化を求める人々の心に反応するかのように、省略を推奨する社会の流れが恐ろしい速さで、人が踏みとどまることを許さぬように多くの事柄が提起され、人はそこに立ち止まることが許されぬように、社会の変化に身を委ねているように感じるのは私だけでしょうか。

私が語れるのはお寺に関わる檀家さん、永代供養墓の皆さんとの関わりの中でのことに限定はされますが、故人を大切に供養を致すという部分でも外から投げられる安直な合理性に飲み込まれそうになっている現況を感じています。

故人をお送り致す葬儀、故人を節目節目に追慕致す法要さえも、負担の少ない提案が溢れ、故人を大切に想う気持ちがあるのに、その風潮に巻き込まれそうになってしまっている景色がそこに見えています。

昨年、とても親しくお付き合いを頂いていました永代供養墓のご主人が残念なことにお亡くなりになられました、ご縁が出来て日は浅かったのですが、葬儀のご依頼を頂き、無事にお勤めを致しました。

そこから一年、今年はその方の一周忌と思い、ご連絡が近々にあろうと思っていました。

しかし、音沙汰がなく、どうしたのかと思っておりましたところ、お墓参りの奥さんとお会い致しましたので「今年はご主人の一周忌ですね」と尋ねますと、「世間の流れ、そして主人も後の法要は自由に考えなさいとの言葉を頂いたので、法要は考えておりません」との言葉。

それ以上はと思い、ご挨拶を致しお別れ致しました。

法事を致さぬことを咎めることはお門違いですが、残った者の分に応じて故人を思い起こす法要は大切なことと思います。

近親の方々へお声掛け致し本堂、お墓にて故人の追慕のお手合わせをいたすこと、それが叶わぬのなら、ご自身とお子さんで墓前にてご回向も出来ます。

社会のその流れにただ流されるのではなく、私が出来る故人への追慕の形を社会の変化と距離を置き実行致して頂きたいと願います。

本日の法事もそうでしたが、霊源院へお越し頂き追善の法要をなされる皆さんは法要の後にお集まりの皆さんで「会食」をなされる方々がとても多いです。

近くの料理屋さんからケータリングで食事を取り寄せ、食事を致しながら故人の想いを語り、その席には笑顔が溢れています。

故人を通じて近親の皆さんが法事が終わりましたら、「さようなら」ではなく、そこから故人を通じて近親の皆さんの絆がより強く繋がって頂きたいという想いから、お寺を皆さんが気軽に、そしてここで皆とお話が致したいというお気持ちになって頂きたく、設備を工夫致して参りました。

お陰様で多くの皆さんがその想いにお答えくださるかのように、ご利用下さっています。

どうか、社会の安直な提案に飲み込まれることなく、家族、近親の皆さんがより強い絆で結ばれます様、このお寺を拠り所と致して戴きますことを願っております。合掌

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