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失われて知る、交わりの大切さ

2021.07.08

失われて知る、交わりの大切さ

コロナ禍も早、1年半余りになろうとしています。

最初の頃から致しますと恐怖も少しだけ薄れ、落ち着いてきたような気も致しますがまだまだ、油断の出来ぬ日々は続いています。

そのような中、様ざまな集会、行事等は未だ、自粛が継続されています。

そして、それは単に行事が出来ないということに留まりません。

人流が遮られることは、人との交わりや心の触れ合いが制限されつつあるということです。

人との交わりの大切さ

昔から言われています「失って解る親の恩」という言葉がありますが、人と人との交わりもまた同じです。

気軽に人と交流出来ぬ現実の中に身をおいて、身に染みてその辛さを感じます。

私たちは小さいころから常に人との交わりの中で育てられ、生きてきたと思います。

学校で友達と交わり、社会に出れば様々な方々とかかわりを頂き、学び、暮らして参りました。

これから先もそれが続いて行くものとばかり思い込んでおりました。

もちろん、オンライン飲み会に代表されるように交わりが消えたわけでは決してありません。

しかし乍ら、何気ない、近しい交わりが制限されていることは間違いありません。

先ずはコロナが収まることが第一ではありますが、このままでは収まった後も通常の交わりが戻ってこない気が致し、心配です。

思いやりの場

亡くなられた故人の冥福を祈り、追慕致す葬儀、法事も又私たちにとって重要な交わりの場です。

葬儀や法事は、故人を追慕致すと同時に残されたものが近しい人を思いやる場でもあります。

例えば一周忌は、小祥忌ともいいます。

小さく”めでたい”という漢字が使われますので、意外に思う方がおられるかも知れません。

ご主人を亡くされたお宅は、家の大黒柱を失ってしまってから一年後に行われる法事が一周忌です。

悲しみが癒えぬ中で、経済的にも何とか一年を乗り切ったことを、親戚縁者が喜び励ます場でもあったようです。

三回忌は大祥忌、七回忌は超祥忌とも呼ばれていますが、遺族を囲む親戚縁者の姿こそが、故人が安心して成仏できる何よりの供養と考えられていたのかもしれません。

コロナの今だからこそ、交わり思いやる場として葬儀、法事の大切さを伝えていかねばと痛感致しています。

霊源院の境内には、本堂、客殿、蓮華堂、絆縁堂、地蔵堂、墓地、翠陰苑、鶴亀の庭などがあります。

どの場所もすべて、心が触れ合う場として有効に機能致していくように、今後も工夫を絶やさないようにしてまいります。

水子供養へ起こしの皆さん、お墓にお参りの皆さん、多くの皆さんが霊源院を交わりの場と思って頂き、ご利用頂ければと願います。合掌

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