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生老病死について

2021.02.23

生老病死

日本だけでは無く、世界中が今やコロナ禍の只中にあります。

コロナのニュースが報道されるまでは、”死”或いは”病”ということを無意識に遠くへ追いやっていたような気が致します。

コロナに関係無く、死や病と向き合い、辛い日々と戦っておられる皆さんがいらっしゃることは存じ上げているつもりです。

しかし、私自身は生老病死を離れて見ていたように思います。

もちろんコロナは憎いですが、それと真正面から向かい会う機会を与えてくれたような気が致します。

仏教では、生老病死を説き、今このある生を精一杯に生きよと申します。

それと同時に生き物の全ては、生まれたら必ず死を迎えます。

この因果は、誰一人として避けて通れません。

そのことを見定めよと説きます。

霊源院のわらべ地蔵さん

さて、お寺にとって大事な仕事は皆さんの心も含め拠り所どころとなる活動をいたすことです。

それと並行致し、御縁を頂いた皆さんの所に残念ながら、ご不幸が発生致した時は故人を懇ろにお送り致す儀式、お葬式も重要な部分となります。

ご年配のお方がお亡くなりの時もございますが、早すぎる死を迎えることが避けられない時もあります。

このような時は、あまりの理不尽さに落胆し、ひちきわ悲しみに包まれます。

儀式の場でお勤めを致しますと、生老病死の教えが頭に浮かんで参ります。

故人が年齢を重ね、病と向き合い、そして迎えた死というものをその言葉と共に身に染みて思います。

そのようなことと向き合わさせて頂いているのもまた”ご縁”といえると思います。

ご縁には感謝致しますと共に、この言葉の意味を皆様にお伝え致さねばと考えます。

禅語 不雨花猶落(あめならずしてはななおおつ)

今庭に咲いています紅梅、馬酔木の花、椿、共に雨が降っていなくても花は散ります。

雨という縁、きっかけが無くても咲いた花は散るというのが自然の摂理です。

どんな生き物にも必ず、終わるときは何時かやってきます。

只、花は散っても次の年には新しい命の花を咲かせるか、種を残し次の世代へ申し送られます。

そして、全てのものは形を変えながらでも循環していくのだと思います。

人もそのように、次の世代へ様々なことを申し送り、そして残ったものはそれを残してくれたご先祖に感謝を致し生活を続けて行きます。

抗うことだけを考えずに、自然の摂理をあるがままに受けいれ、戴いた命を感謝し、粛々と生きていくという境涯を目指して行きたいものです。

コロナも含め様々な困難は、私たちに大事なことを教えているのだと受け止める気持ちがございましたら、目の前の困難も少しずつですが乗り越えていける気が致します。合掌

水子供養永代供養墓の京都のお寺

大本山東福寺塔頭霊源院

京都市東山区本町15丁目791

電話 075-561-9684

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